2012年6月9日土曜日

ホイアン日本人の墓、ミーソン遺跡

5月27日
ホイアンへ。
実はベトナムで一番楽しみにしてた街かも。

午前はご飯たべて、街ふらついたあとバス。
フエの日常、スローライフ!

意味なく寝台のバスよりなんだか雨が綺麗に思えた。

4時間半くらいだったかなぁ、ホイアン着。
事前に調べた結果小さい街だとわかってたので、歩いて宿まで。
前日、前々日と一緒にお酒を飲んだ日本人の紹介してくれた宿へ。Hop-yenという有名?な所。
この日は夕方だったし、ご飯たべて寝ただけ。。。


28日
ホイアン2日目。
突如謎に宿を交代させられる。どいうことか分からずも着いていったら、シェアしろとの命令。
幸い、相手の方も同意してくださって、よかったけれど。
日本人女性で、ろうの方。
このあとと次の日と、いろいろお世話になったりご飯ご一緒させて頂いたり、いろいろお話できて興味深かったです。
日常で、大学生活で、そうめったにろうの方やそういった障害を抱える方々と触れ合う機会はなく、いろいろと考えさせられました。そういった機会を得られて良かったです。
そして何より楽しかったし!!

昼からは、レンタサイクルを借りて街をふらふら。

まずは“日本人の墓”に行ってきました。
日本人の墓。
お墓の目の前の景色


言い伝えによると、徳川の鎖国令で日本へ帰らなければならなくなった谷弥次郎兵衛は、ホイアンの恋人に会うためこの地に戻り、そこで死去したそうです。
なんとロマンチック!
そして、それを哀れんだホイアンの方々が日本のある方向、北東10度に向けてこのお墓をつくったそう。
このお墓からもわかるように、ホイアンは昔は貿易港として栄え、日本人村もあったそうな。
日本に帰れたにも関わらず、この地で果てることを選んだ彼はどんな気持ちだったんだろうとか柄にもなく考えて、しばらくぼーっとしてた。
こんな田んぼの真ん中で、もし霊魂とやらがあるのなら、どんな気持ちで過ごしてるのだろうかなぁ。


そのあとはビーチへ!




 日中はほとんど人いない!ちょっとの白人だけ。独占感!

 南国。
すごく南国。


そりゃーもう暑かった。
あと一人だと、どうしても貴重品やらあるし、泳ぐのためらうんだよなぁ。
もっともこの日は泳ぐつもりでは来てなかったけども。
結局ビーチにはこのあと毎日通う。笑



29日
この日は前日にシンカフェで予約したミーソン遺跡ツアーへ。
実はこれがすごく楽しみだった(笑)
バスで1時間ほどかけてミーソンへ。

でたー! 

古い文字が良い。

僕はまだアンコールワットに行った事がないから、行ったことがある人がどう感じるかは分からないけれど、
僕はここはすごくよかった!
廃墟感というか、遺跡感というか。拙い英語力でもガイドの言ってる意味は分かったし。

 塔の中。すごい構造。

 装飾もなかなかすごい!

 一番右、装飾を彫り忘れてる(笑)

 青い空、白い雲、緑の草木に囲まれてすごく綺麗だった。

 何百年もの間ジャングルに埋もれてきた遺跡。

 ロマン!


アンコールワットのアンコール朝とは別の王朝、チャンパによって建てられた遺跡群らしい。
悲しいことにベトナム戦争時のアメリカの空爆で、結構な部分が破壊されたそう。今も爆撃の跡の窪みがたくさんある。
ミーソンの遺跡はレンガでつくられており、そこに接着剤が使われていないそう。
また、昔からのこっている部分にはコケが生えないのに、復元した部分はコケが生えてくる等等、高度で失われた技術が使われていたらしい。
昔の姿をみてみたかったなぁ。


ホイアン前編終了!
なんで初の前後編になったかといえば、この街がすごく素敵だったから!笑
後半また楽しみにしといて頂けるとうれしいです。
では!






2012年6月8日金曜日

フエ!

さて。フエ。

5月25日
朝、フエに到着。
宿でバス申し込んだら同じ宿の系列の目の前にバスが泊まる。商売上手な・・・笑
バックパッカーズホステルという、いかにもな名前で欧米人がすごく多い宿。
120,000ドン。ただ朝ごはんついてたし綺麗だし、そこそこ良かった。
ただエアコン効かせるなら一日中つけてほしかった。日中は消されるというサディスティックな宿。
着いて早々タバコぼったくられるわ、最初から若干印象が悪かった。
まぁベトナムこんなもんだけども・・・;

昼過ぎまでのんびりしてから、時間もあるし阮朝王宮址で世界遺産の「フエの建造物郡」へ。
宿から15分くらいだったかな?

こういう事僕がかいて訪れない、みたいなのはいやだからあんまりマイナスな事は書きたくないけど、ここもそんなにだったなぁ、個人的には。
特に中国訪れたあとだとそうなのかもしれないけれど。
そして、ベトナム戦争で大部分の建築が失われたのも一つ原因としてあるけれど。

いやー共産主義!

 王宮の城門にあたるところ

 結構廃墟化してて、それはそれでよかった。

すこし中華建築とはやっぱり違う顔つき、と感じる。

フエの王宮一通りみて、出会った日本人の方お話してからふらつく。
このあと飲む約束を交わしてから。笑

ふいにこんな野ざらしの戦車とか出てきてテンションあがる。


シャーマンやらイロコイスやら。
戦争博物館らしいけど、まぁそこそこに見学して。

ベトナムの町をふらついていると、どこでもこんな屋台をみつける。
おいしそう

フランスパンに、色々なベトナム風の味付けされた何かが入ってる。


4000ドンだったっけ。あんまり覚えてないや。
でもまぁまぁおいしかった!

このあとこの日は日本人のお二人(N口とK地さん)と飲みに行って、だいぶ酔って帰宿。
日本と大差ない。笑


26日

朝から二日酔い。
そりゃあれだけ飲めば、と自省するも後の祭り。笑
街をふらつくだけの日。
この日も昨日の方々とのみにいって、この旅初の日本食も食べて。
おにぎり、みそしる、お新香!!

日本酒も飲みたかったけど我慢。
二日連続、日本語でたくさんお話できて楽しかった。
お部屋にも上がりこませていただいた挙句、ビールやら何やらまで頂いて、申し訳なかったです。


フエはそんな感じ。
ビーチのほうもちょっといきたかったなぁ。

ハノイ編

5月21日
朝から体調不良。
食欲不振、倦怠感といわゆる夏ばての様相。

ドミの部屋が同じだった日本人の方と、お昼ご飯にハノイ名物のブンチャーという料理を食べに行ったのだけれど、体調不良のせいか、ぜんぜん美味しくない。
食べ切れなかったし。
そのあと街をぶらつこうって話にもなったけれど、吐き気がしてきたのでお先に宿に帰ってねっころがる。
夜までごろごろして、オレンジとヨーグルトと、食べたくはなかったけど体に良さそうなもん食べて寝る。
写真1枚も撮ってなかった・・・笑


22日
若干体調回復したけど動きたくなかった。でも貧乏根性がそれを許さず軍事博物館へ。
着いて、見学しようにもずーっと吐き気あるし、すぐ疲れるしであんまり楽しくなかった。

 F5とか、
 A1スカイレーダーちゃんとかいて若干テンションあがったけども・・・

やはり体調はテンションに大きく影響を与えるもんで。
見学そこそこに軍事博物館をあとにして、目の前のレーニン像の傍で休憩。
レーニンさん。厳しい顔つきで頑張れといってる気がした。共産主義者になりそう。


レーニンの目の前で少年たちがサッカー始めて、そこそこ回復してたし宿に戻る。
あとは寝てすごした。笑


23日
この日もおんなじような感じ。
少し街あるいて、宿帰って寝る。
歩けないぐらいしんどかったらそれはそれでもう諦めつくのだけれど、そこまでじゃないから中途半端に無理してしまう。笑
幸いここはベトナム。ネットに規制がなかったのでYoutubeやらで暇つぶしはできたから良かった・・・


24日
だいぶ体調治ったと見えたので、夕方のバスを予約。フエまで!
時間があったので、タンロン城という世界遺産まで。
 タンロン城。昔の城は大半フランスの建物に変わってる。

 中華と西洋の間。

遺跡のほうも見学したのだけれど、パッとしない・・・
なんで世界遺産なったのだろう、と不思議に思うレベル。
僕の知らない文化的意義とかがあるのだろうけれど、あまり期待しちゃ駄目な奴かなぁとは思った。
まぁ入場料無料だし、ええけどもw

そのあとは街をぶらぶら。


 教会。かっこええなぁ。

古い町並みはよかった!

 でも、こういう鉄道の傍の家、良かったなぁ。
一番いい景色だったかもしれん。



でもまぁ正直ハノイはそこまで見所ないのかなぁと感じた。
ハロン湾とか行ったらもっと綺麗だったのかもしれないけれど、体調不良もあったし、それに直近で桂林陽朔みてたから、まぁ行かなくていいか、と行きませんでした。
行った人の話きいても、ビーチの時間とかカヌーの時間とか興味沸かなかったし(笑)


そんなこんなで、この晩ハノイをでてフエへ出発!

2012年6月6日水曜日

東南アジアに行かれるつもりの方にはぜひ一読して頂きたい

そんな記事。
前半飛ばしてくれても良いので。




昨日、おもしろい出会いがありました!!^^

出会いはベトナム・ホーチミン(サイゴン)からカンボジア・プノンペンまでの高速バスの中でした。
バスが到着に近づいたらしく、後ろのほうに座っていた何人かが立ち上がり、バス前部に移動していました。
しかしながら少し到着が遅れるようで、偶然空いていた僕の隣と、僕の前の席に座られました。
僕の読んでいた本を見てか、「Are you Japanese?」と問われ、会話。
話を聞いていると、マレーシア人夫婦で、カンボジア人と結婚した弟に会いに、ベトナム観光の後カンボジアに来たそうです。
職業は奥さんの方しか聞いてませんが、幼稚園の教師をしているらしい。
そして娘さんは今、早稲田に留学していると。すご。

「ホテル決めてるの?」と言われ、決めていないと答えると、弟に聞いたら安い所知ってると思うし一緒にくるかい?と言われました。
ラッキー!あわよくば泊めてくれて宿代飯代浮くかもwwwと思って着いて行く事に。


バスが着いて、迎えを待つために目の前の場末のカフェへ。
ビールをおごっていただく。笑
詐欺とか強盗が怖かったし、「申し訳ないけど少し信用できないから、パスポートみせて」と聞くと、あっさりとフィリピンのパスポートを見せてくれました。笑
なんでも、フィリピンとボルネオ?とマレーシアの国境の島に住んでいるから、マレーシアとフィリピンのパスポートを持っていると。
行く国によって使い分けていて、アメリカのカリフォルニアでも人によってはそんな感じで出来るんだよ、と教えていただく。


しばらく待ったけれど、弟が遅れるとのことで、トゥクトゥクで彼らの家へ。
ふっつーの民家。弟の息子が家にいました。
ちょっと待ってると弟夫妻帰宅。
お互いの自己紹介やら雑談。
弟はカジノのディーラーをしているそうで、使い古した社員証も見せてくれた。
あとでカジノの仕組み教え足るわ、と。


ご飯は魚の煮付けみたいなのと、豚の角煮を焼いたもの、スイカ、野菜炒め。
味もそこそこ、タダだしラッキー☆と思って結構たくさん頂きました。笑

ご飯食べ終えて、すぐ傍の寝室で、カジノを教えてもらうことに。
しかしながら僕もずっと移動でしんどかったので、メアド交換しておいとまさせていただきました。

帰りは市中まで用事がある息子さんに、トゥクトゥク乗り場まで送ってもらって、交渉までしてもらって帰りました。






ここまで読んで、お察しの方もおられるかもしれませんが、これが僕が巻き込まれそうになったトランプ詐欺の導入です。
幸いにも僕は"移動で疲れたから眠い"と言う事で逃げられましたが。
実際に被害にあった事例を調べると、この後少しやってみようか、の流れから賭けバカラになり、大金を取られるそうです。
僕はこんな話がある、というのを知っていたので運よく逃げ切れましたが、場合によっては逃げれず、そのまま強盗になるケースもあるそう。
逃げるときは少し怖かったけれど、逃げられてよかったです。
心惜しいのはその人たちの写真とか、部屋とかを撮っていなかったことくらい。
コストの面で言えばむしろご飯やらビールやらタクシー交渉やらで得はしたと思いますが(笑)
でも一歩間違えれば現金はもちろん、パスポート、キャッシュカード、ipod、カメラ、ザックに入ってるPCやらなにやら全部、下手したら命まで危うかったかもしれません。


こいつら怪しいわ、って思ったのは“フィリピンの”パスポートの件、トゥクトゥクの運転手とのやりとりが英語じゃなかった件、カジノでディーラーやってるという件などなどでした。
しかしながらそのどれもが、その場でさらっと理由を説明されると、そんなもんなのかな、って思ってしまいました。あとで冷静になって考えるとおかしいんですけどね。
最終的に部屋に入った時も、質素な部屋で、普通の机と普通の椅子があるだけで「詐欺用」のものには見えませんでした。
少し説明を始めると、奥さんも入ってきて、僕を自然に囲う形になっていました。精神的にも出づらい感じです。
図にするとこんなかんじ。




紹介された宿は有名なキャピタル、という所だったのですが、翌日迎えとかきたら面倒だと思い、近くの別の宿に泊まりました。
そこで日本人の方と色々お話したり、自分で冷静になって考えたり、ネット上のほかの事例を調べたりして、逃げてよかったと確信できました。
その日本人の方が実際に会った被害者の方は、120万とられたOLとかもいたそうです。
"その場の雰囲気"というのは本当に怖いもので。
クレジットのキャッシング枠に限界きたら、宝石店でクレジットでさらに何十万も払わされる、というケースもあるそうです。

また、フィリピンやマレーシア等々、外国人と外国人のトラブルというケースでは、カンボジアの警察は動いてくれないそうなので、不用意に外国人、というだけで信用してしまうのは危険かもしれません。



海外での出会いは本当に楽しいものだし、"良い人"と出会えればそれはかけがえのないものにもなると思います。
タイや中国で出会った人たちは出国前日に飲みに連れて行ってくれたり、安くお土産やタクシーを交渉してくれたり、色んなオススメスポット教えてくれたり、観光地や料理を詳しく説明してくれたり、ポストカードを送ってくれたり、本当にとてもいい出会いもたくさんありました。
そして、そんな気持ちを踏みにじるトランプ詐欺は本当に許せない。
他の事例だと、日本にいる友人から手紙が来たけれど読めないから翻訳してくれ、とか、色々とあるそうです。
それら全てに共通して言えるのが、"偶然"出会った人というのもポイントなのかもしれません。
調べてみると、多くの場合「親族が日本で働いている、勉強している」等というケースが多いように感じます。
最近では宿にわざわざ宿泊して、トランプ詐欺や類似の詐欺に巻き込まれるケースもあるそうです。
今僕が泊まっている宿にいるフィリピン人も、他の日本人と宿のスタッフと話をしていると少し怪しいとの意見。
もちろん確証はないのですが、そういったケースもあるので今後も気をつけようと思います。




確かに、出会いを全て疑いかかって恐れて、出会いもなくただ観光地を見るのも個人旅行においてはあまり楽しくないとも感じます。
結局は運ですが、ただ、少しでもこういった事例を頭の片隅にでもに入れておけば、それを防げる可能性は高くなると思います。






最後になりましたが僕が調べたほかの事例のリンクも載せておくので、特に今後東南アジアに向かおうと考えている方はぜひ一読してください。
リンク先の方、もしリンク削除してほしい等ありましたらご連絡ください。確認次第すぐに削除しますので。

<他の事例リンク>
この人のあった人、料理とかテーブルの写真を見る限り、たぶん僕と同じ奴。
http://4travel.jp/overseas/area/asia/cambodia/phnom_penh/travelogue/10641160/
この人はトランプ詐欺がきっかけで旅を終える事になったそう。前後の記事も読んですごい影響をうけた。
http://ameblo.jp/travelerkenta/entry-10703425007.html

他にもトランプ詐欺、で検索するといくらでもひっかかるので、ぜひ一度チェックしてみてください。
まぁトランプ詐欺だけに限らないけれども・・・やはり身の危険に関わる情報だけは最低限チェックしておかなければならないと思います。

2012年6月5日火曜日

ついにベトナム入国!

なんかテンションあがってきた。笑
ハノイ編いったる!


5月20日
少しだけ体調悪かったけど、そろそろ中華出てベトナムへ行こうと、バス切符購入。
10時半のバス。
そこからいざベトナムへ!

国境の友誼関に着く前に、お昼ご飯も着いてたり。
さて、友誼関、バスを乗り換えてカートみたいなのに乗るんですけども、
人数的に俺一人取り残された・・・笑
このときの切なさ。
すぐバスくるゆーたのに結局20分待ったし。
まぁもうそんな「すぐ」なんて今更信用してないけれど・・・笑

ちなみにカートみたいなのでも5分もかからなかった。歩かせろ!!

イミグレはもうあっさりすぎて拍子ぬけ。
向こうがベトナム!!

陸路での国境越え初めてだったからちょっとドキドキしてたのに。
ベトナムのイミグレもすごく雑。
とりあえず窓口に、投げるようにパスポート渡して、待機して、判子もらうだけ。
お前らそれでええんかって小一時間問い詰めたくなるレベル。笑
一応ノービザの条件として、第三国行き航空券か往復航空券所持が条件なんだけど、
そんなのもう誰も守ってないんちゃうかって感じ。笑
今後どうなるかはわからないし、責任は持てないけれど、たぶん何も心配しなくてもいいと思う。
中国ベトナム間の陸路移動。


ベトナムに無事入国すると、景色が違う。
まず、漢字がない!!!
出国して2ヶ月たって、やっと漢字をみなくなりました。笑
そして、ベトナムと中国の経済格差からか、道路の舗装とか建物の数が変わりました。
やっぱり何だかんだ、他のアジア諸国と比べても中国はそこそこ発展してると。
もちろん田舎の方は別だけれど!


南寧から、結局9時間くらいでハノイに着きました。
バスで一緒だったドイツ人とタクシーシェアして、ハノイの安宿街へ。
正直何もしらべて無かったから・・・笑
まぁおかげで会話も増えたし、助かりました。

宿とって、休憩してからハノイの中心にあるホアンキエム湖という湖に行ってきました。
湖のまわりがこんなライトアップされてて、綺麗。
ベトナム人カップルに写真お願いされて、話してたら日本に留学してたとか。
詐欺でなくまともな人でよかった。笑
湖畔でギター弾いてる集団とかいて、たのしかったなぁあそこ。
宿の近くの大聖堂も綺麗だった。



とりあえずここまで!
またハノイ編の続き、更新します!

陽朔(桂林)→南寧編

連投!!!


5月16日
大理を出て、バスで昆明へ。
そのまままた駅まで直で行って、切符ゲット。
運よく寝台車、1席だけ空いてた!
時間があったので街ふらついてたら、すごいのみつけた。



昆明すごいで・・・

19時だかに列車は出発。


17日
朝起きて、外を見て、ゆっくりして、列車は昼過ぎに到着。

寝台車はこんな感じ。天井が低い意外は意外と居心地いい!

桂林についたら、そのまま陽朔の街へ。
桂林の川くだりの終点の町で、欧米人に人気の街。

宿探すのわすれてて、YHAと名乗る男(絶対ユースじゃない)についていく。
案の定違ったけどまぁ安かったからいいやと。笑
ただ、しつこい。ツアー参加しろ、めっちゃ安いぞと。
あとちょっと街から離れてる。やっぱ客引きはアレやなと改めて実感。
というか中国で宿の客引きってほとんど会ってないわ。


 陽朔の町はどこを歩いても、「桂林」のイメージの岩山がある。

 市街中心部の西街と呼ばれる地区からは歩いて5分でこの景色。
西街に行けばいくらでも宿あります。笑

マクドナルドもなんか壮大な景色。笑



18日
陽朔2日目
この日は陽朔の街をぶらぶら。
あの客引きのおっさん、部屋Wi-fiもちろん繋がるよ!とか言ってたのに、
いざネットは?って聞いたらLANつなげとかほざきやがった。
バス停のところにおる客引きは信用しちゃだめwまじでwだるいからw
まぁこれもいい経験。

 本当にさっきも書いたけれど、ずっとこんな景色がひろがる。

 ウルトラマンみたいなんもおるw

 川沿いの道を向かって左に、山に沿ってずっと歩くと、田舎町に出る。
なぜか1軒ゲストハウスがあったり。

 もちろん水牛もおる。気持ちよさそう。

のどかでいいところだったなぁ。
陽朔、僕はゴテゴテしてる西街よりもあっちサイドのほうが、ちょっと冒険してる気分にもなるし  好きかも。


19日
朝は予約してた川くだり。
 フランス人カップルと一緒だった!

 良くも悪くも、ずっとこんな感じの景色。
のんびりしてると思いきや、地味にボートの音うっさかった(笑)

 鵜飼のおっさんがいたり。
鵜の「何みとんねん」感がよかった(笑)


これ地味に好きな写真かも。
ここが終点で、何もわからぬまま放りだされた。
フランス人と悩みつつもバスみつけて、陽朔に帰る。

陽朔に帰って、正真正銘のユースに宿あいてるか聞いてみたけど、空いてなかった。
だから桂林に戻って南寧へ。

だからこの日は午後以降はずっと移動。
もう少し計画的に進めてれば、もうちょっと早い、陽朔→南寧直行のバス乗れたんだけどなぁ。笑

南寧に着いたのは日が暮れる前。
一応宿調べてたのだけど、思った以上に遠かった(笑)
ゆーても30分くらいだったか。
バスターミナル近くのマンションの1階。
綺麗なところだった。
まわりに何もないけれど!



っしゃ。
だいぶブログが現在に近づいてきた(笑)
まだもう1個くらい更新できるかな?
出来たらベトナム入国しよう!